2005年12月20日

『男たちの大和 YAMATO』

 中村獅堂の片笑い、鈴木京香の半笑い。

 ……はおいといて。

 私が行った試写会は、監督との質疑応答付のもの。
 当然、というか、そこでは「泣きました!」の嵐。
 私が考えてた、
「作中で、登場人物が普通に外来語をつかってるんですけど(軍人同士のシーンでも)、ああいうものだったんですか?」
なんて質問、したら顰蹙ものな雰囲気でしたよ。

しかし、泣いた、とか、感動した、という感想は、私はもたなかった。
質疑応答の様子からも、監督はそういう感情を望んでこの映画を作ったのではないと思えたのだ。

それを最も強く感じたのは、大和最後の決戦のシーン。
米軍の戦闘機が、雲霞のように押し寄せ、爆撃を繰り返す中、
乗組員たちは次々と命を落としていく。
そこには、「もう一度お母さんに会いたかった」とか、
最後の夜の思い出とか、
そんなものは一切ない。
あるのはただ、死への恐怖だけだ。


目の前にある一瞬の死は、これまでの十何年の生を、まるで幻であるかのようにあまりにも簡単に吹き飛ばす。


だから命を大切に、なのか、
こんな人たちがいたことを忘れないで、なのか、
この作品からどんなメッセージを発したかったのか、それはわからない。

だが、監督が伝えたかったものは、
死への恐怖、そしてそれを知ったがゆえに生み出される、なにかかけがえのないもの。
なのだと思う。

そのために……いやそうでなくとも、
人の死を、美化することはできなかったのだろうし、
それがゆえに、戦場で発される言葉は、「お母さん……」ではなく、
「弾を、弾をくれ!!」だったのだ。


戦争は終わった。60年がたった。
そして今、再び注目を集めている。
あの悲惨な戦争を忘れてはいけない、繰り返してはいけないと、皆、口をそろえて唱えている。
しかし。
その言葉を口にするたび、無意識のうちに、戦争や戦死者を、美化してはいないだろうか。
私たちは、戦争を知らない。60年前と比べて明らかに、死から遠いところですごしている。
だからこそ、知らないからこそ、簡単に物語化、すなわち美化をしてしまう。

いや、戦争を実際に体験したものとて、例外ではない。
他人から請われ、その体験を話すごとに、うまくつじつまが合うように話を改変していくだろう。
皮肉なことに、戦争を忘れないために行われる行為こそが、実際の戦争を忘れさせ、フィクションとして美化された『戦争』を生み出してしまうのだ。


そのような風潮に警鐘を鳴らす……この『男たちの大和』は、そんな役割を担おうとしているかのようにも、思えた。

男たちの大和/YAMATO@映画生活


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posted by つぶらやあきら at 11:47 | Comment(0) | TrackBack(16) | 映画・演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月01日

『乱歩地獄』

 正直いって、内容に関しては、ようわからん。
わからんことを楽しむ映画っていうものが、この世にはあると思う。
これがまさにそうなのだ。

そういったたぐいの映画は、たいてい消化が悪い。かなりの間、自分の中に滞留し続ける。それも、中途半端にどろりとした状態で。
これはまったく困ったことだ。

だが、そんな未消化を抱えているのもまた快楽なのだ。
自分だけで完結する、不健全なレジャーといってもいい。

そんな物言いが、まさに乱歩的ではないか。

posted by つぶらやあきら at 21:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月24日

『Always 三丁目の夕日』

 昭和33年の東京。
 短気だが情の厚い則文が営む鈴木オートに、
 集団就職で六子がやってきた。
 小さな町工場にがっかりした六子を、
 一家のやんちゃ坊主・一平は、「もうすぐテレビがくる」と慰める。

 鈴木オートの向かいで駄菓子屋をする茶川は、
 芥川賞の選考に残った経験がありながら、今は少年誌に冒険小説を投稿する日々。
 ある日茶川は、淡い思いを抱く飲み屋のおかみ、ヒロミに頼まれ、
 身寄りのない少年、淳之介を預かることに。
ALWAYS 三丁目の夕日@映画生活

(原作大好きから来る辛口風味……わかってこのジレンマ)

 ん〜〜〜。なんつーか。
 小粒?

 いい話だけど、な〜んか薄味。
 その薄味とか、ある意味でのお約束を、お家芸に昇華しているのが原作なんだけど、映画ではそこまでいってない。
 昭和の風景も、一応再現はしてあるけど、役者さんたちの雰囲気とかそんなんは、どこか現代風。
 
 あの時代ならではの「やさしさ」と「やりきれなさ」(淳之介の母親の処理とか、ヒロミの行方とか、あ、あと、氷屋さん!)はそろってるけど、それを感じるのには、こちら側での補完が必要。


 全体を通して、小さくまとまってしまった感じがする。

 それは悪いことじゃない。そういう映画もいい。
 でも、『三丁目の夕日』というビッグネーム(少なくとも映画化が発表されてからの扱いはそうだ)を使い、話題作として全国上映するには、ちょっと力不足だといわざるを得ない。

 もっとアットホームに、丁寧に、ネームバリューよりもある種のマニアックさを持ったスタッフを集めて、名画座での上映を前提に作ったほうが、より良いものができたし、評価も高かったんじゃないかと思う。
 現に、エインディングロールが終わるまで、一人も席を立たなかったし、周りからはすすり泣きの声も聞こえてたもの。

 
 というわけで、映画としての評価はそれなりに高いけど、
 ビッグネームに負けたということで、「期待せずに行ったら大満足! 前知識を捨てよ!」



 あ、淳之介のキャラは良かったですよ。
 唯一の「改善」点だった。
 
 それから(追記長いよ)、公式サイトの予告編はほんまに泣ける。必見。
posted by つぶらやあきら at 10:18 | Comment(0) | TrackBack(9) | 映画・演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月09日

『同じ月を見ている』

 幼なじみのエミの心臓病を治したい一心で、医者の道を歩む鉄矢。
 恋人同士の二人のもとに、ある知らせが届く。
 もう一人の幼なじみのドンが、刑務所を脱走したというのだ。
 人の心を絵に描き出し、その人を癒してしまう不思議な力を持つドン。
 誰よりも純粋な心を持つドンに、大切なエミを取られてしまうのではないか・・・。
 そんな不安と暗い思い出を抱える鉄矢、
 そして二人の間で心が揺らぐエミの前に、
 ドンが7年ぶりに現れる。

同じ月を見ている@映画生活


 泣いたね。

 一言で言うと、泣いたね。

 二言でいうと、めっちゃ泣いたね。




 『傷つかない人はいない
  傷つけない人も』

 で涙腺刺激。

 鬼気迫った様子で絵を描くドンのバックに流れる岸田今日子の語りでひと泣き。

 そしてドンの
 「ねんりき、しよう。
  エミと、三人で、いっぱい念力しよう。
  てっちゃんが思ったこと、僕がかくから」

 ……号泣。


 窪塚洋介復帰第一作として語られることが多い作品だけど、
 明らかに、主役はドンでしょう。

 三角関係の恋愛を描いた映画ですらないと思う。
 ドンの物語といって差し支えないんじゃないかな。
 
 普通の人間が世間と折衝して生きていくためになくしてしまった何かを持っている人。
 他人の裏切りや嘘、逆境、暴力を憎んでしまいそうな自分と戦い続けた人。

 そんなドンを描くために、てっちゃんやエミが配置されていた。


 また、そんなドンを演じる、エディソン・チャンの、眼がすばらしい。
 窪塚洋介は完全に食われていたね。
 山本太郎とのシーンはどれも秀逸。

 これから出てきてほしい役者さんですね。


 黒木メイサは……う〜ん。
 モデルのほうが向いてるんじゃないかな。

 キメ顔つくるのはうまいんだけど……。
 子ども時代の顔も怖かったし……って、それはメイサじゃないか(笑)。



 まあ、役者さんにはそれぞれの好き嫌いもあるから置いておいて。


 そのほか、印象に残っているところといえばやっぱり手術のシーンでしょうか。
 はじめは、「ここまで大写しにする必要あるの?」と思っていましたが、
 ドンの心臓が切り離されるシーンへの布石だったんですね。
 ラストのあのシーンはとても活きていましたから、そこから考えると、「なるほど!」という感じです。
 
 それに、見終わってから時間をおいた今、考えると、
 この作品のテーマって、「世界の汚さ」を飾らずに描くことでもあるのかなと思います。

 お話としてまとめるためには、感動的なエフェクトをかけないと仕方がないけど、
 現実には、追い詰められたときに赤の他人からの救いの手が差し伸べられる幸運なんて、少ないわけだし(ないとは思いたくないけど)。
 ドンと似たような境遇で、それこそゴミのような扱いを受け続けてそのまま死んでいった人は、たくさんいる。
 そしてその人たちの苦しみが本当の意味で描かれることは不可能。
 だって、それでは観客を満足させる「物語」にはならないから。

 それでも、少しでも、「現実」というものをかんじさせるため……、そうであれば、長い手術シーンも、テーマを描く上で必要なものだったのかも。


 スプラッタ苦手な人も多いと思うけど、できれば、目をそらさずに見てほしいです。



posted by つぶらやあきら at 17:30 | Comment(7) | TrackBack(16) | 映画・演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月01日

『蝋人形の館』

 こ、こわかった……。
 つか、痛かった。
 拘束→拷問 の流れは苦手です。
 ゾンビシリーズみたいに、蝋人形が集団で襲ってくる映画かと
 思って見に行っただけに、衝撃倍増でした。

 ほんとにスプラッタらしいスプラッタ。
 ストーリーのなさといい、「何でそんなことするの!?」と突っ込みたくなる行動満載の主人公グループといい。
 ……ほめ言葉ですからね?

 
 個人的に一番怖かったのは、ウェイドが生きたまま蝋人形になってるってこと。
 おかげで、ダールトンやペイジがあっさり絶命したとき、逆にほっとしちゃったよ。


 ほんでも、ラストの炎上シーンは圧巻!
 これだけのために1800円払ってもいいくらい。
 
 ……といいながら1000円の日に見ました。
 しかも、映画館側に不備があったので、帰りにタダ券くれました。
 ……ラッキ☆


 えーと。
 
 あと、個人的なお気楽見所としては、
 ニックの活躍(マッチョ系でめっちゃかっこいい!)と、
 カーリーのナイスバディ(うらやますぃ!)。


 ところで『何がジェーンに起こったのか?』って、何か元ネタが?
 と思ってたら、よそ様でしっかり触れられてるの発見。
 知ってるヒトはニヤリなんだろうなあ。うらやましいなあ。 


蝋人形の館@映画生活
posted by つぶらやあきら at 22:31 | Comment(0) | TrackBack(11) | 映画・演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ティム・バートンのコープスブライド』

 平日の夜の、そこそこいい時間に行ったっつーのに、観客数10名足らず。
 吹替え版だったせい?

 
 字幕がそんなにえらいんかーーーーーー!!(泣)

基本的に吹替派のあきらとしては、すいてて嬉しいやら、字幕に負けて悔しいやら、複雑な気分です。

 ていうか、吹替え版なら、オープニングのキャストロール、何とかしてほしかったな。
 デップ出てないよー。


 それはともかく、コープスブライド。
 タイトルにまで名前を出してるだけあって、ティム・バートン色濃厚です。
 ビッグネームになっちゃった弊害か毒は控えめになってるけど、
 キャラクターの不気味かわいさは流石。

 キャラクターの動きは滑らか過ぎるほどなめらかで、
 機械的な動きをする使用人キャラに、思わず、

「あんな人形みたいに動けてすごい!!」

 とか思ってしまいました。

 人形アニメ! 人形アニメ!!>自分


 わんこの動きもかわいい!!
 わんこのかわいさって、見た目だけじゃないんだなって思わせてくれました。
 あの、くるくるまわる様子とか、ああ、もう!! ラヴ!!


 ちょっとまじめな話すると、

 生者の世界=モノクロ
 死者の世界=カラー
 っていう表現がいいよね。

 
 そんな手法にも表れているように、エミリー(コープスブライド)は、
 すっごくいい女!!
 ちょっと強引だけど、一途で、烈しくて、さみしがりや。
 でも、自分のことより、好きな人の幸せを優先できる強さを持ってる。
 巡り会わせが悪かったせいで、不幸な死をとげてしまったけれど、
 ほんの少し違う運命に出会えていたならば、きっと、世界一幸せな花嫁になっていたに違いない。
 
 そんなエミリーのかわいさと強さは必見!


 あ、あと、あれ注目。
 ヴィクトリア母の巨乳っぷり。
 せくしー!! 



ティム・バートンのコープス ブライド(映画生活)
posted by つぶらやあきら at 09:00 | Comment(4) | TrackBack(11) | 映画・演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月18日

『七人の弔』

とある山奥のキャンプ場にやってきた、7組の親子。
 しかしどの親子も、どこか様子がおかしい。
 愛想がなく無表情の指導員・垣内(ダンカン)は親だけを集めて説明を始める。
 これは夏休みの親子キャンプなどではなく、子どもたちの臓器を売買するために、2泊3日の日程中に健康チェックを行う秘密の集まりだったのだ。
 普段は虐待されているのにこの日に限って自分を気づかう親に、子どもたちは戸惑いながらもキャンプは始まり・・・。

 北野武、黒沢清、青山真治らの監督作品に出演し、俳優として異彩を放つ一方、
 ロカルノ国際映画祭アキュメニカル特別賞を受賞した『生きない』では脚本も手掛けてきた、
 ダンカン待望の初監督作。
 我が子を大金に変えようと躍起になる親たちと、
 そんな親の不審な行動をいぶかる子どもたちのサマーキャンプが、
 ユーモアたっぷりに描かれていくコメディ作品だ。
 とはいえ、回想シーンとして随所に挟みこまれていく彼らの家庭生活はあまりに厳しく、
 またそうした日常が、悲しいことに日本のどこかに確かに存在していると容易に想像できるだけに、
 笑いの中にもチクッと胸を刺す痛みがある。
 渡辺いっけい、高橋ひとみ、温水洋一らの演じる不完全だからこそ人間臭く、憎みきれない親たちの描写は見モノ。
七人の弔@映画生活より)

 
 →公式ページ

 題材やアイディアはすごくいいと思います。
 リサーチもきっとちゃんとしたんだろうなあと思えるし。
 
 でも、見終わった後に感じたのは……拍子抜け。

 細かいエピソードやブラックユーモアの一つ一つは、
 お約束ではありながらも楽しんで見られたし、
 虐待のシーンも、数少ないながらも各家庭の状況や雰囲気がしっかり伝わってきました。

 問題はやっぱり、オチのつけかたかなあ。
 よく言えば「怒涛の急展開!」なのかもしれないけど、
 決断にいたるまでの子どもたちの感情とか思考とかを、きっちり描いてほしかった。
 そうすれば、「取引があっさり行き過ぎてて変だ」っていう点も、スルーできたかも。
 (いや、それにしたって、
 子どもより大人の臓器のほうがいいってのはおかしいが……
 どの親も、あんまり健康な臓器持ってそうじゃないし(^^;))。

 何しか、思いついたストーリーをあんまり練らずに作っちゃった感じがしますね。
 ダンカンさんはたぶん、アイディアマンとしては優秀なのだと思うので、
 原案に徹して、ストーリーの仕上げは別の人に任せたほうがよかったかも。

 あとはやっぱり、子役のあまりの棒読みっぷりに見ててつらくなりました。
 (そのほうがリアルでいいっていう説もあるけど、私はそれには反対派。
  台本がある時点で、求められているのは「リアリティ」であって、
  「リアル」ではないと思う)

 逆に、良かったのは、温水洋一さん。
 「いい人でいたいだけの、弱い人」を果てしなく的確に演じられてました。
 この人の役に関しては、一度も回想シーンはないし、「借金をしている」ことしかわからない。
 その借金がなんのためのもので、どうして子どもを虐待していたのか、どんな虐待をしたのか、はまったくわからないつくりになっている。

 でも、わかる。

 温水さんの演技で、
「きっと他人にいやな顔できなくて、なあなあにしているうちにハンコつく羽目になっちゃったんだろうな」とか、
「子ども殴ったのも、最初は、うるさく泣いたので近所から苦情が来たとか、取立人に見つかりそうなったからとか、そういうのだったんだろうな」とか、
 登場人物の、描かれてはいない背景が、次々に浮かび上がってくるんです。

 こういう人を、本当の「役者」っていうんだろうなあ、と感じました。

 ちなみに温水さん、『タキシードが似合わない役が似合う人』ランキングがあったら、間違いなくNo.1 ですね! そりゃもうぶっちぎり!(笑)


 あと、ほんとに関係ないけど、
 あのアイスクリーム、ペンキの缶に見えた(模様のせいか?)。
posted by つぶらやあきら at 13:23 | Comment(0) | TrackBack(3) | 映画・演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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