「私は あの三億円事件の犯人かもしれない……」
文法的には、
「か」:(副助) 疑いの気持ちを添えて、推量する時に用いる。
「も」:(係助) 他にも類似の事物が存在することを言外にほのめかす形で、ある事物を提示する。
「知れ」:「知れる」の未然形。
「ない」:(助動) 打消しを表す。
で、
「かもしれない」:可能性はあるが、不確実である意を表す。
となるわけですが……、
間違いなくあんたですから、犯人!!
to みすず嬢
アオリと予告編から、主人公は、毎日のなんでもない習慣や、犯人に巧みに誘導されて取った行動をに利用されるのかと思ってました。
そういう無意識の共犯者がいたから、つかまらなかったんだということなのかなと。
そして、主人公だけがそれに気づき、逡巡するような……そんな、事件後の隠れた苦悩にスポットを当てた話かなあと勝手に予想して見に行ったもので、60年代だけで完結してしまったことに少しびっくり。みすずが実行犯で、しかもやる気満々だったのにもびっくり。
これだけ「3億円事件の犯人はは」「3億円事件の映画」といわれてるけれども、実際、この映画において「3億円事件」である必要は、ほとんどない。
・誰でも知っている大きな事件
・犯人が捕まっていない
・死人が出ていない(犯罪助長映画だという謗りをさけるため?)
くらいの理由で選ばれただけじゃないかと思える。
それよりメインはやっぱり、主人公みすずと、岸の物語だ。
母親に捨てられ、叔父の家でやっかいものとして暮らしているみすず。金銭的には満たされているが、そこはみすずにとって居心地のいい場所にはなりえない。
みすずの孤独を構成するキーワードに、兄の存在がある。
母親につれられ、共に姿を消した兄。
彼の生活は決して幸福なものでなどないけれど、『自分だけが捨てられた』という事実が、みすずの孤独をより深くしていることは想像に難くない。
同じく、金銭的、そして他人から見ての立場的には恵まれている岸が、そんなみすずに惚れたのは、当然と言っていいだろう。
岸は、みすずを好きになったきっかけとして、「強い瞳」と「大人になんかなりたくないと言った」ことを挙げている。
これは共に、自分が持ち続け、そして、もう失ってしまっているのではないかと恐れていたものなのだろう。
孤独と共に歩んできた二人は出会い、共犯者となり、互いを癒した。
しかし、だからこそ、再び一人に戻ってからの孤独は、より大きな、消えない喪失感となって、それぞれの心に残るのだ。
癒された記憶によって、より深い傷を受ける……それでも、二人はこの出会いを、この事件を、悔いたりはしないだろう。
その傷は、多分いつでも甘い痛みを含んでいるのだから。
・初恋@映画生活






